Idea4U vol.662023 Summer2かつて都市の夜を明るく照らし、その存在感を競い合っていたネオン。今でも街には光が溢れていますが、実はその多くが「ネオン風」のLEDであることをご存知でしょうか。2000年代初頭に台頭したLEDの普及によって、ネオンは一気に下火となり、今や街から姿を消しつつあります。時代の流れとともに消えゆく技術を継承したい――商業広告の主役から退いたネオンに対して、新たな舞台で光を灯すアオイネオン株式会社(以下アオイネオン)の荻野 隆氏。減少する市場の中で、どのように新しいムーブメントを起こしたのか、その秘訣を探ります。 創業当初は電気設備や照明工事全般を取り扱っていましたが、昭和32年頃から本格的にネオンに力を入れるようになりました。かつて看板の光源は電球しかなく、文字の形に曲げられるネオン管は画期的なものでした。屋外広告全般を広く手掛け、経済成長期には、資生堂や松下電器の系列店の看板工事を一手に請け負うように。街には多くの電気屋さんや薬局があり、街のお店が増えるにつれ看板も普及していきました。お店からの発注は時代とともに減少しましたが、代わりに広告代理店の仕事が増えていきました。銀行の合併で銀行名やロゴが変われば、全国の看板を刷新する一大プロジェクトとなります。渋谷の109や銀座の不二家など、ビルの屋上に施工するような大型広告塔も手掛けてきました。 大きな転換点はLED化ですね。六本木ヒルズは開業20年ですが、建設の際、地上230mに取り付けるサインをネ オンにするかLEDにするかで論議となり、結局LEDが導入されました。この頃から、ネオンは徐々にLEDに切り替わっていきます。ネオンは、バーナーであぶってガラス管を曲げ、ネオンガスやアルゴンガスを封入するという職人技。高電圧を伴うため、施工には電気工事士の資格が必要です。対してLEDは誰でも入手でき、両面テープで貼り付けるだけ。加えて、路面店よりもモールなどに入るショップが主流となり、看板は小型化しますが、ネオン管は小さく作るのが難しいという制約があります。さらに、LEDは省エネの観点から政府が推奨するなどの後押しもありました。実はネオンの消費電力はLEDとほぼ変わらないのですが、当社も今では手掛けるサインの98%がLEDです。 もう一つは、新規ビジネスの展開です。2015年、札幌市内で飲食店の看板が落下し、歩行者が重体となる事故が大きく報じられました。看板の設置には、行政の許可と点検報告書の提出が必要ですが、この事故を発端に、点検されずに野放し状態の看板の存在が明らかになったのです。屋外広告物条例ガイドラインが改正され、世の中の意識も一気に高まりました。そのタイミングで、当社は「看板ドクター®」という、内視鏡や超音波の機器を使って内部の腐食状態を点検するビジネスを開始したのです。看板は外から見るとキレイでも、構造的に内部に水がたまりやすく、見えないところで腐食することがあります。これまでは目視で点検するしかなかったので、データを取って高い精度で診断できるサービスは画期的でした。 広告の形態や役割は時代とともに変わります。人々は街の看板をあまり見なくなりました。スマホでマップを見て歩けば目的地にたどり着ける。目印の大きな看板はもう必要ないのです。屋外看板は減り、その代わりに、デジタルサイネージやプロジェクションマッピングが増えています。ただ、機器を取り付けるだけの仕事で生き残るのは難しい。やはり、コンテンツ制作などの付加価値が必要です。 一時期、ネオンは新規注文がほぼなアオイネオン株式会社 事業企画部部長 兼 CSR統括マネージャー 大ネオン展プロデューサー荻野隆氏屋外広告のデザイン、設計、制作、施工を行う創業72年の老舗 企業。渋谷109、六本木ヒルズなど、都市のランドマークとなる大型看板から小さなピクトサインに至るまで、静岡、東京、大阪、福岡を拠点に全国のサインを手掛ける。SNSを巧みに活用し、B2Bながらファンも多い。荻野氏とは、2022年9月にWeWork御堂筋フロンティアで行われたイベント「Table Neon Artデザインコン テスト2022」でご縁ができ、今回の取材に至った。-アオイネオンのビジネスについて教えてください。-屋外広告は、時代とともにどのように変化してきましたか?-時代の流れで廃れゆくネオンを再生させようと考えたのは?商業広告からアートへの転身消えゆくネオンに新しい光を灯す!Z世代+SNSで起こす現代のムーブメント
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