− 取材を通じて見えてきたもの、社名であるパブリカの由来当時印刷との関連もあったことから、publish(出版する)、publication(出版)といった言葉と、大衆にも車を普及させるために作られ人気を博した車種「パブリカ」へのリスペクトも込めた命名。みんなから広く愛される会社に、という思いを込めた。資料1パブリカの名前の由来時代の変化といううねりの中で、あらためて日本のものづくりが見直されつつある 昨今。技術力をバックボーンに、新発想でチャレンジする中小メーカーの動きも増える中、そうした企業をサポートすべく、「ものづくり新聞」という情報発信のプラットフォームを運営しているのが株式会社パブリカです。「未来に種を蒔く」ことを掲げ、コンサルティングやIT化支援サービスを行うパブリカの代表取締役 伊藤宗寿氏に、「逆取材」の機会を得て、起業のきっかけから「ものづくり新聞」誕生の背景、現状や今後の展望まで、じっくり語っていただきました。 元々大阪のメーカーで機械設計をしていた父の影響もあるのかなと思い ます。独立後は自宅で、製図用ドラフターを使って大きな紙に、頭の中にある設計図を消しゴムもめったに使わず鉛筆で一気に仕上げる姿を目の当たりにしていました。「真似できない世界」だと感じつつも機械自体には興味があり、大学は機械工学科に進学しましたが、ロボット研究でも、ソフト寄り。作るほうは得意でない自覚があったので、就職先もメーカーでなくIT系企業でした。とはいえ担当顧客であるメーカーにITシステムを提案する中で、「自分はものづくりをサポートする側なんだ」と気付きます。仕事を通じて広く「製造業」を理解した後、転職を経て、印刷関係のベンチャー企業と出会い、自動組版ソフトの世界に足を踏み入れます。ただ、思うようにはいかず、もう一度「製造業」周辺に立ち戻ることに。かつての知り合いに声掛けすると、コンサルティング(以下コンサル)や支援の仕事があるとの話があり、今の事業を思い立って起業しました。製造業支援は、かつて携わった領域にも重なるので、今思えば自然な流れでした。「進むべきは、ものづくりを外側から支える仕事だ」と確信したわけです。もちろん、好きなこと、というのも大事な要素でしたが。 コンサルの仕事を始めて順調に3〜4年経った頃、1つ課題が出てきました。いかに素晴らしい取組みでも、秘密保持契約を結ぶため、好事例としての発信はできません。そこで解決法として考えたのが、現在の「ものづくり新聞」のアイデアでした。そんな時、たまたま以前のコンサル先で働いていた女性から連絡があって会うと、新入社員の頃から書き溜めた200ページもの業務マニュアルを手に「伊藤さん、これどう思います?」と。とにかく内容がすごかったので、「彼女がいてくれたら実現できる」と動き出しました。彼女こそが、記者の中野さんです。後に広報・マーケティング担当に井上 さんを迎え、記事は1〜2週間に1本ペースで続いています。しばらく経った段階で、目指すところの共有はできていても、明文化ができていないことに気付き、ビジョン・ミッション・バリューとしての言語化を実施しました。(※P3コラム内)簡単に言えば、ものづくりの現場とつながって、思いを世界に発信することで共感し、新たな価値を生み出すきっかけをつくるということ。現場の声をそのまま届けて、ものづくりをもっと楽しくしていきたいですね。ワクワクする気持ちを共有して、他の人にもワクワクしてほしくて、「ものづくり新聞」というプラットフォームを作りました。取材する側もされる側も、ワクワクからアイデアが生まれます。取材先を選ぶ基準は、そのワクワク感があるかどうかです。また、できる限り一次情報として伝えることにもこだわっています。 100件以上取材をしてきましたが、取材対象は、自社ブランド製品を企画・販売するBtoCの販路を持つ企業が中心。従来の枠を超え、社内企画やプロジェクトを持つ企業が増えています。単に部品として作るのと、自ら商品を企画してキャンプ道具や雑貨を作るのでは全然違いますよね。デザイン関連の展示会に出展したり、直接売り込んだり。会社によって目的も様々ですが、町工場のつながりで取材先を紹介してもらうと同じスタイルの企業が自然と多くなります。皆2Idea4U vol.652023 Spring− ビジネス立ち上げに関わる ストーリーをお聞かせください。− 「ものづくり企業の 事例紹介プラットフォーム」に至ったきっかけは?印象深かったことは?大切なのは現場の「今」を伝えること「ものづくり新聞」でワクワクを発信!中小ものづくり企業の未来を変える
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