JTマーヴェラス国内トップリーグV.LEAGUE所属の女子バレーボールチーム。日本代表として世界と戦う選手も在籍。ホームタウンの兵庫・大阪に密着したチームとして、「バレーボール教室」など地域のスポーツ振興を目指した社会貢献活動にも積極的に参加している。詳しくはこちらをご覧くださいhttps://www.jti.co.jp/sports/marvelous/index.html2022 SummerJTマーヴェラス事務局提供 アスリートと聞くとどんなイメージですか?特別な才能をもつ有名な方を思い浮かべ、接点のない別世界の存在、という印象を抱く方もいらっしゃるのでは?ところが、身近なところに、実は「元アスリート」の肩書を持つ方も…。「実像」がまだあまり知られていない世界について、JTマーヴェラスにてバレーボール選手としてご活躍後、現在は管理職というセカンドキャリアを手に歩んでおられます、 日本たばこ産業株式会社(以下JTと表記) 京都支社 部長 中塚美由紀氏に、自らのご経験から多くの方に伝えたい思いや課題等を語っていただきました。 バレーボールとの出会いは小学5年生、出身地・広島はバレーボールが盛んな土地柄で、周囲の勧めで始めたそう です。中学2年生の時、まだ経験の浅い段階で参加した練習試合で強豪校の指導者の目にとまり、その後高校へのスポーツ推薦が決定。高校入学と同時に、寮生活がスタートします。実家から電車で30分の距離とはいえ、寮のすぐ横の専用体育館で毎日練習の日々で、実家に帰るのは年に1回、1泊2日がせいぜい、という状況でした。 「当時、平日は放課後に夜まで練習、土日は朝からひたすら練習!まさに根性バレー。それが当たり前でした。夏休み 等の長期休暇は、実業団チームのところに全国から強豪校が集まって、延々と練習試合をするんです。始業式や終業式などの学校行事の出席も免除されていました」とは驚きです。「全国大会や世界選手権への出場のような特別な体験ができたかわりに、一般の高校生が味わうはずの日常は一切体験できずじ まい。学校帰りの寄り道やおしゃべりは憧れでした」とのこと。家族と会えるのは試合を見に来てもらった時だけ、先輩と同部屋の寮生活で気が休まる時間す らなかった生活は、「3年間限定だから耐えることができたんです。そんな中、将来の展望を考える余裕は無かったで すね。目標の将来像に向かって確実にステップアップしていったトップアスリートの話題も聞きますが、私は目の前のことを必死にやるだけ。せいぜい明日のことで精一杯でした」という言葉が、当時の厳しい練習の現実を物語っています。 高校卒業後、JTに入社。JTマーヴェラ スの選手として合宿所に入り、「バレーボールが仕事」という環境は、「社会人」としてかなり特別です。一般的な見方だと、アスリートとして競技に専念することで給料を得る生活は、特別な才能に恵まれた方へのリスペクトしかないのですが、当のご本人の心境は全く違っていたようです。「現役時代は勝つことを目標にバレーボールに打ち込みますよね。それは誇るべき事実。でも引退すると、バレーボールしか知らないというコンプレックスになって壁にぶちあたる感覚です。何が分かっていないのかが分からない、という不安に襲われました」とは意外過ぎる事実でした。 現役引退までの最後の4年間、キャプテンをつとめた中塚氏。「リーダーシップの取り方も最初は強引でした。キャプテンとはこうあるべき、と自分で勝手にハードルを上げて苦しみました」。キャプテン1年目は、初めて一部リーグに上がったものの、シーズンを1勝19連敗で終え最下位に。多くの選手が辞め、残ったメンバーで先輩後輩関係なしで何でもやるしかなく、「キャプテンらしく」などと言っている場合ではなくなりました。だれかが欠けて試合ができないリスクを避けるためにも、何でも言い合える環境を目指しました。これを機にコミュニケーション量が増えた結果、お互いをしっかり理解できるよ うに。「勝って結果さえ出せばいい」と割り切っていた頃から見れば大きな方向転換ですが、この経験が中塚氏のリーダーシップの原点になったのは間違いありません。2Idea4U vol.62目の前の目標突破に全力でのぞむ知られざるアスリート的学校生活アスリート特有の悩みアレコレリーダーシップの取り方も課題自らの強みを知り未来につなぐということ貴重なアスリート経験を活かすことで「セカンドキャリア」もいっそう輝く!
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