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石見銀山生活文化研究所 ブランド展開資料石見銀山の梅から授かった、梅花酵母の恵みで美しく。根のある暮らし、の意味を込め、大森や暮らしにちなんだ図柄も特徴。昭和初期の民家を再生し、暮らしの文化を次世代に伝えていく場所。「根々」受け継がれる技や時間が静かに織り込まれた「衣」。身と心を包みます。「登美」衣衣美「MeDu」1789年創建の武家屋敷を再生した「暮らす宿」。住「他郷阿部家」食「Re:gendo」ここでしか作れないという価値自然に学ぶデザインの意味 古くは16世紀の大航海時代に、石見銀山がある佐摩村にちなみソーマと呼ばれていたこの地。戦国時代から江戸前期にかけ最盛期を迎えた後、山あいで静かに時を経ても、今なお特別なエネルギーを秘めている大森町。代表取締役の松場登美氏は、この地に特別な何かを感じたのかもしれません。1981年に夫・松場大吉氏の実家に帰郷し、「BURA HOUSE」として、手作り感覚のエプロンやキッチン小物等の卸売販売をスタート。「ここでしか作れない、この町に似合うものを」の思いが全ての始まりでした。94年に洋服だけでなく生活雑貨も含めた「暮らし」に着目した新たな「和」をコンセプトとする「群言堂」ブランド、98年には株式会社石見銀山生活文化研究所を設立します。「登美」「根々」などの婦人服ブランド、様々なスタイルの店舗や古民家を再生した宿、さらにスキンケアブランドも加わるまでに成長しました。登美氏のこだわりは、自然に学ぶデザイン。作為的なものより、自然の中の偶然に美しさを見出すのです。石田氏が島根の本社にいた当時、聞いた話で、千利休のもてなしに例えて「庭を掃ききって、客人に気を遣わせてはいけない。相手に意識させない、絶妙な加減にとどめてこそ。デザインも然り」と。「お客様から『何屋さんですか?』と聞かれることが多いのですが、一言で表現できないのがうちの魅力と自負しています」と石田氏。現状の構成比は、概ね婦人服が7割、雑貨・飲食・化粧品の合計で3割とのことですが、時代により変化を遂げてこそ進化なのかもしれません。銀山の鉱夫たちの健康を守った梅が梅花酵母として美しさの可能性を切り開く! 江戸幕府の直轄地として代官所が置かれ、世界有数の銀の産地だった大森は、当時深刻な問題を抱えていました。過酷な労働環境による鉱夫の謎の病死を避けたい幕府にとって、予防は喫緊の課題でした。医者を呼び寄せ行った実地調査で、粉塵による肺の病が原因だと判明。そこで、絹の布地に柿渋を塗って二重にし、潰した梅の実を挟んだところ、粉塵の侵入を防ぐことができました。当時、発明されたマスクのようなものは「福面」と呼ばれました。「梅は体に良い」と近隣に広まり、多くの梅の木が植え続けられたことで、今や梅の花が春の風物詩となりました。ある時、食品開発の際、「昔から身近にある梅から酵母がとれないだろうか」という夢に。「何年かかるかわからない」とも言われる中、島根県産業技術センターの全面協力により自然酵母を発見、味噌やお酒の商品化に成功し、化粧品の原料としても注目される酵母の可能性を信じて研究を重ね、梅花酵母を使ったスキンケアブランド「MeDu」(めづ)が誕生します。登美氏の「きれいと美しいは違う。きれいは表面的なもの、美しさは内面から湧き上がってくるもの」との考えにも重なります。肌の美しさには、体を慈しみ育む腸内環境が重要です。「MeDu」には、食べて腸内に働きかける商品もあ島根県・石見銀山の町から発信する「根のある暮らし」にこだわって人の縁が縁を呼ぶモノ・コトづくり発想世界遺産石見銀山で知られる島根県大田市大森町。人口400人ほどの山あいの小さな町に、「群言堂」ブランドを中心に「根のある暮らしを楽しむライフスタイル」を提案し、広く発信し続ける株式会社石見銀山生活文化研究所の本社があります。「石見銀山の地に根を下ろし、美しい日本の生活文化を、次の世代へ」として、古き良きものから新たに価値を創造する「復古創新」を合言葉に歩み続ける企業です。その魅力を探るべく、東京の“発信地”のひとつ『Re:gendo』にて、開発事業本部 石田事業本部長にお話を伺いました。2Idea4U vol.472019 September

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