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KAWACHIの歴史を物語るもの資料新たな文化の幕開けとともに「大大阪」の中心地・心斎橋で創業 現在の河内卓也社長の先々代にあたる、創業者の河内俊氏が吉村商店(現在のホルベイン画材)から独立した1920年当時は、洋画材自体が、ほぼ輸入品だった時代。額縁に至っては、職人を抱え海外のデザインをヒントに、手彫りで作っていたというから驚きです。やがて、美術雑誌『中央美術』『アトリエ』などの広告掲載を通じて全国に名が知られ、新文展や二科展、国展などの公募受付も行っていたそうです。あの小磯良平氏や藤田嗣治(レオナール・フジタ)氏とのご縁もあったとのこと。特に小磯良平氏については、リヤカーで神戸の自宅まで画材を届けていた、との逸話も残っているそうです。「大大阪」と呼ばれた大正後期~昭和初期頃、文化の中心として栄えた心斎橋の華やぎは、当時の店舗写真からも見て取れます(資料参照)。戦後の変化の中で、まず大きな波が来たのは1970年代。デザインがビジネスの中枢に躍り出た頃です。つまり、画家に画材を売るBtoCの業態から、BtoB取引へシフト。それ以降、商業デザイン、設計、製図関連の急増で、会社単位での「お客様」が主流になりました。その後、学校教育としての「美術」の現場も姿を変え、BtoCでも売れ筋も次第に変わっていくことに。コンセプトの真ん中に「アート」を!大切なのは「だれもが手軽に」 世の中の流れに合わせ、従来の画材以外に文具・雑貨類にも注力した時期もありました。本店が心斎橋筋商店街にあった頃、1階に文具、2階に画材という配置の影響もあり、「文具屋さんだと思っているお客様も多かった」と語る河内社長。単なる文具・雑貨売りにならないよう、当時から「扱うのはアートに関わる商品」という明確な選定基準を設けたそうです。かつての顧客層は、プロの画家や美大生・芸大生中心でしたが、今や絶対数も少ないため、顧客の定義を一般の趣味領域の方にまで拡大しました。よって、いかにアート心を刺激するか、いかに絵を描きたい何か作りたいと思ってもらうか、いかにアートを身近に感じられる環境を作るかがポイントに。つまり、ハードルの高くないアート関連のブームが、新たな顧客獲得の重要な要素になり得るということです。 その例が、塗り絵ブーム。第1次ブームは、お花や浮世絵などをモチーフにしたものが中心で、大人の塗り絵ブームとも言われ、高齢者の方々にも広く支持されました。店頭に、塗り絵本と共に色鉛筆を置いておくと、飛ぶように売れたそうです。第2次ブームは、ひたすら集中して塗り続ける、曼荼羅のような絵柄の塗り絵です。こちらは、ストレス解消に良いと働く若い女性に支持されたのがきっかけでした。2回のブームを経て、塗り絵本が定番商品となった感もあります。目的は違うものの、問題解決の手段として結果的にアートにたどり着いた、という点で共通しています。広義でのアートの範疇にありながら、芸術作品を作るわけでも、特別なスキルを要しないものにこそ商機ありです。だれもが関心を持ちやすい、挑戦しやすいものを提案することが、アート周辺に親しんでもらう近道になるということでしょう。企画部から「攻め」の動きを加速!アーティストの育成という開拓スタイル 会社として力を入れていることの1つが、アーティストとのマッチングです。昔は、お客さんの来店を待って商品を売アートを盛り上げ、文化の発展を支える大阪におけるアートの未来を見据えた体感型ブランディング戦略のカギ1920年(大正9年)、大阪・心斎橋で創業。大正末期には河内洋画材料店として、「大大阪」と呼ばれていた当時から、大阪アートシーンに貢献してきた株式会社カワチ。洋画材の輸入・販売から、やがて大きな波となる商業デザイン周辺、さらには一般の方の趣味領域に至るまで、時代とともにアートをめぐる環境も大きく変容する中、2019年5月に心斎橋店を新規オープン。これまでの足跡や新展開への思いをはじめ、 大阪におけるアートのあり方についても語っていただきました。当時の様子が伝わってくる店舗写真。これ自体がアート作品のような1枚。絵筆とパレットを持つ「画人マーク」の商標の変遷1大正時代/初代2戦後リメイク3現在2Idea4U vol.452019 May
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