創建から現在に至る歴史について新たなアイデア発想の源とは?「切り絵御朱印」を始めたきっかけは?1981年から開催されているイベント。『世界の宗教の相互理解による世界の平和を目指す 心の国際交流』をテーマに、神戸から世界に発信。Idea4U vol.732025 Spring2にふれるアイデアを模索し続けているのです。神社の根幹部分は崩さぬよう守りつつ、多くの方に関心をもっていただくため、先駆者として枠にとらわれないユニークな取り組みを行っています。 中でも特徴的なのは、1981年から続く「北野国際まつり」です。毎回、この地域に暮らす外国人たちと共に、企画実施しています。北野には世界の宗教が共存していて、この狭い範囲に11種類も教会等の施設があるという世界的にも珍しいエリアです。神道は、教理経典もありませんから、先にもふれた通り、正確にはいわゆる宗教とは少し違う位置付けであり、祈りを捧げる場として提供する神社はフルオープンなスペースなのです。つまり、「どなたでも歓迎しますよ!」というスタンスですね。神社は、足を運んでいただいてこそなので、そのきっかけづくりを継続したい!という意志が、あらゆるアイデアを生み出す原動力となっています。最近では、若い世代の方々が、きちんとした作法で丁寧にお参りしてくださいます。先日、スケボーを持って歩いてる男子学生たちが、鳥居の前で一礼してから通り過ぎるのを見かけてうれしくなりました。次世代に期待したいですね。 御朱印に関しては、ブームと呼ばれた時期を経て知名度も上がり、幅広い世代に定着した感があります。その流れの中で私たちがたどり着いた先が、「切り絵御朱印」という選択でした。もちろん御朱印自体は、神様が授けてくださる参拝の証として昔からあるものですが、より幅広く多くの方に向けたお参りする動機として、特別な「切り絵御朱印」を始めた、 一般的に、日本人にとっての神社は、もともと「近所に当たり前にあるもの」という身近な存在です。今でも、お宮参りや七五三のように子どもの成長を祝う行事とは切り離せませんし、結婚式場でもご縁のある方もいらっしゃるでしょう。また近年は、外国からの旅行者の間でも注目を集めており、日本の文化体験の一つとして参拝する方も増えているようです。神社を取り巻く状況は、時代とともに変化してきましたが、神戸・北野坂をのぼり切ったところに佇む北野天満神社は、日々進化し続けています。今回は、その根底にある思い等、宮司の佐藤典久氏にじっくりお話を伺いました。 治承4年(1180年)、平清盛公が福原に遷都を行った際に、都から見た方角の関係で、いわゆる「鬼門封じ」の守り神として、京都の北野天満宮の御分霊を祀ったのが始まりです。実は、北野天満神社が、このあたりの北野という町名の由来でもあるのです。他にも神戸には、祇園という地名もあって、わずか半年あまりの遷都で京都の影響も少なからず見られます。創建当初は、山肌にお宮が置かれていたそうで、現在の建物は江戸中期のものです。その後は、戦前の水害、戦時中の大空襲、そして1995年の大震災と、さまざまな困難に見舞われながらも、奇跡的に社殿の倒壊を逃れ今に至ります。 私はこの地で生まれ育ち、佐藤家が神職を務めてから5代目ですが、それ以前にはここを神主や地域の方々、時代によってはお寺さんが護ってきた歴史があります。子どもの頃、このあたりは住資料1北野国際まつり宅地でしたので、神社は地域の鎮守の神というような存在でした。転機となったのは、1977年の連続ドラマによる洋館ブームと、1981年の神戸ポートピア博覧会です。これらをきっかけに、北野が一気に観光地化しました。普通に住宅として使われていた洋館が、「異人館」として観光資源に変わっていったのです。 一般的に神社といえば、保守的なものだと捉えられがちなのですが、そもそもとてもオープンな存在です。地域柄、この辺りは外国人の方が多く住んでおられますし、神戸は風土としても寛容です。だからこそ、神職、氏子さんが一緒になって、「多くの方に参拝していただくにはどうすれば良いか」と意見を出し合うのも自然の流れでした。お参りのきっかけになる独自の名物づくり、お祭り、御守りについて議論するわけです。その結果、おみくじの裏に英語の解説を入れたのも早くて1990年代、御守りの布地をパステルカラーにしたのも当時は珍しかったのではないかと。 その背景には、こんな考え方があります。「神道は、宗教であって宗教ではない」とも言われます。つまり日本文化・地域文化の継承を担っている側面もあるがゆえに、お参りの際に純粋な心の祈り2024年開催の内容はこちらからご覧いただけます。伝統を尊重しながら継続的「進化」を目指す!多様な文化が共存する街・神戸からイノベーティブな視点で新たな価値を創造
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