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1. 「反骨精神」なるものの正体 ~幼少期から単身渡米時代まで~― 岡本さんの原点を理解するため、 幼少期のお話からお聞かせください。 では、人は運命を受け入れることも大事だな、って話から。僕には姉と妹がいて、父方母方を含め、いとこは全員女性、僕が唯一の男性という環境でした。昭和40年代当時、男だからと甘やかされたわけではなく、比較対象がいないことでむしろ厳しく躾けられ、親戚の集まりでは必ず大人の席に座らされていました。 今だから言えますが、これ、当時は相当重荷でしたね。田舎にいる母方のおじは、戦後に採石事業を立ち上げた数々の逸話のある猛者で、価値観を押し付けるというか、とにかく強くて存在感がある人。小学生時代の夏休みには、そのおじのところに行かされて、いろいろ鍛えられました。一方で父は、印刷複写の会社の二代目。次男なのですが、後継者になるはずだった兄(長男)が亡くなり、早稲田大学の理工学部建築学科を中退して家業を引き継いだ経緯があります。 幼少期から、押しが強く豪快なおじと、家業を守るために夢を断念せざるを得なかった父という、真逆の二人のメンターに同時に接していたことが、僕を表現する際によく言われる「反骨精神」的なものの基礎となったかもしれません。― そんな岡本少年の「反骨精神」に 関連するエピソードはありますか? 「反骨精神」に該当するのかどうか、受け止め方にもよるでしょうが・・・。当時は、ひとりだけ違うことをすると「なんでお前だけ?」と言われた時代。先生が右に行けと言えば右に、しかも右に行くにもきっちり揃ってという感じでした。僕は体も大きくて見え方も派手で、同級生は大抵、肩より下ぐらい。まさに、頭一つ出ている状態。先生の言う通りにしていても目立つので、「そこが違う、ここが違う」と言われ、「なんで俺だけ?」という気持ちの中、反発もせず不良でもなかったんですよ。ただ、注目されるから結果を出さないと!という思いがあって、常にどう戦うべきか考えてました。これはある意味運命ですよ。 こういう体を授かって、こういう環境で育ってきて、時代がこうでという中、どうやって自分なりのやり方を見つけるか、努力をして結果を出すか。その答えが、「あれこれ言われない所に飛び出してみたい」という決心、つまりアメリカ移住でした。― 自分らしくあるために選んだ答えが、 単身での渡米という選択だったのですね? そういうことです。当時の環境に限界を感じていた17歳の時に思い切って両親に伝えて、最初は猛反対されましたが、母がちょっと冷静に考えてみようと。父が夢半ばで断念したこともあり、結局僕はチャンスを与えられたのですが、「ここからは、自分で何とかするしかないよ」と言われ、覚悟を決めました。解放されたいのではなく、自分で答えを見つけたかっただけ。学校で、あれこれ言われて自信喪失状態だった中、アメリカという答えに出会いました。その時点で具体的な夢・目標があったわけでなく、唯一好きだったテニスで、半分はカッコつけと言い訳、半分は自らの意志で思い立ちました。自分で選んだこの道が運命だと考えていたので、アメリカでの苦労や失敗は全然苦でなく、むしろ鍛えられて良かったなと。僕のほとんどは、幼少期の環境によって作られたものですね。運命とか、生まれもったものを素直に受け入れることが大切!目標に向けて努力し続ける、発見する、方法を考える、という思考になるには、環境なんだと思いました。失敗を糧に「セカンドチャンス」でも勝負し続ける!人のぬくもりを感じるデジタル活用の原動力は「反骨精神」をまとった飽くなき挑戦者の熱い想い販促手法が多様化の一途をたどる昨今にあって、テクノロジーで「紙」の新たな価値を創造する株式会社グーフ(以下、グーフ)は、既成概念にとらわれない挑戦を、提案し続けています。あらゆるITやデータとつながる「紙」の可能性を追い続け、ビジネス創造へと導くグーフですが、その象徴的存在とも言えるのが、CEO岡本幸憲氏。今回は、常に挑戦し続けるフロントランナー岡本氏に迫るべく、「徹底解剖」というコンセプトでインタビューを実施しました。目標に向かって、まっすぐ未来を見つめる視線の先に何があるのか?語っていただいた、力強くも愛情あふれるメッセージは、業種も年代も性別も超えて、何かしら心に響くものがあるはずです。1昭和40年12月東京生まれ/意志の強さの「源流」は既にこの頃から? 2学生時代/185cmの岡本氏よりさらに大きい相手とテニスで対戦も 320代後半/シリコンバレーの頃のビジネスでのひとコマ1232Idea4U vol.552021 January

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